“生活する”とは
以前、この記事に衝撃を受けて、FBでもシェアされまくっていたので、ご存知の方もいるかもしれないですが、初めてという方は、ぜひ読んでみて欲しいです。
【生活をサボるな!インド人に叱られて2年経って分かったこと】
https://note.mu/kayoko_coco/n/n909fd2072799
僕はこの記事を読んでから、”ちゃんと生活しよう“と感じて、嫁さんに依存することなく、食事も掃除も洗濯もしているし、それは筑波大で働きだした今も続けています。
著者のように、都会の喧騒から離れ鹿児島の離島で過ごす、あるいは記事にもあるように、観光がメインにないライフスタイルの試着のような世界の旅をしていたいと感じてるものの、もっぱらの今はいろいろと足を突っ込み過ぎていて、時間をコントロールしているようで、実はできていない。
ただ、主体性をもって生きてはいるので、他人にコントロールされていることはないとは言い切れますが。
しかし、今改めてこの記事を読んでみて気づいたことは、生活の中で「人に会ってコミュニケーションをとる」ということを僕自身最近していないなぁと。
そして以前の僕のように「人に会いに行く」ことをまた始めようと決めたのでした。
主体的に。
自発的に。
なぜ人に会いに行くのか
それは、人に会って話を聞かせていただくことで、考え方だったり、価値観だったりと、自分にない様々な気づきを得ることができるからです。
また、同じパターンの生活を続けていくと、マンネリ化し、新たな発想がなくなり、それ以上の成長が止まるからです。
先日、久しく会ってない友人からFBのメッセージがきまして。
「久しぶりにソウタに会いたいなぁ」って。
僕は「金曜日の夜なら比較的時間作れるよ」と返信。
友人は「金曜日の夜はなかなか都内にでる用事がない」と。
僕に逢いたいと言ってきたのに、俺に逢うのは“何かのついで”じゃないとダメなのかなって(笑)
逢いたいなら、時間作ればイイのに!と感じました。
それか、実はそれほど会いたいわけではないのかも(笑)
時間を創り出す
「時間がない」「忙しい」と言う人はあまりカッコ良いとは言えないです。
本当に逢いたいなら、
ちゃんとアポを取って承認を得たら、時間や手間やお金をかけて会いに行く。
全ての人に与えられた時間は1日24時間。
でも使い方、活かし方次第で雲泥の差となる。
“会いたい人に会いに行く時間を創り出す”ということを意識してやっていこうと感じ、ブログに残すことにしました。